瀬戸内の島から風待町へ

「風待[かざま]ち」という言葉の響きに惚れこんだのは、一〇年以上も前、広島県の大崎下島を訪れた時のことだ。ここに「風待ち・潮待ちの港」御手洗[みたらい]があった。古い屋敷の並ぶ街に繁栄の面影を残すが、今はひっそりと静まっている。
 御手洗が港町として発展し始めたのは、三〇〇年ほど前のことだ。当時はまだ一枚帆(横帆)の船が多かった。向かい風さえ利用できる現在の帆船とは異なり、昔の和船は順風でしか進めない。しかも構造上、強風に弱かった。だから適当な風が吹いてくるまで一晩、時には何日も足止めを食らう。
 その間ずっと船に籠もっていられない水夫は、娯楽を求めて港町に繰りだした。彼らは精力のある男たちだから、自然と遊女が集まり、色街ができていく。また「おちょろ」と呼ばれる小舟で、錨泊中の船に押しかける遊女もいた。彼女たちは単に夜伽をするだけでなく、客の食事や洗濯、繕い物など身の回りの世話もして、現地妻のような役目を果たした。
 商売と割り切ってはいても男と女である。風待ちが長引けば、情が移ってしまうこともあった。しかし船が出れば、別れざるを得ない。そこに、いくつもの切ない物語が生まれた。
 様々な土地から、風に吹き寄せられて集まる男たち――それを迎えるのもまた寄る辺のない女たちだ。一時の契りと安らぎを得たところで、再び風が吹けばいずこへともなく散っていく。様々な人生が交錯しても、留まることはない。
 そんな風待ちの港を、今よりはもう少し時の流れが穏やかだった自分の少年時代に、ちょっと妖しい空想の色をつけて、蘇らせてみたくなった。地球という宇宙の小島――そこに置き忘れられたような小さい港町があって、様々な事情を抱えた不思議な訪問者たちが流れ着く。彼らがひととき触れ合うのは、やはり町の片隅に暮らす寄る辺ない人々だ。
 そして五つの物語が生まれた。もしセピアがかった記憶の中に、港を吹き渡る風と潮の香りがあったら、読後に懐かしく思いだしていただけることだろう。(「小説宝石」2017年7月号)

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