ダイマッコウの深海へ!

 私は2003年に共著で『深海のパイロット』(光文社新書)というノンフィクションを出版し、宇宙にも匹敵するフロンティアで活躍する人々の現場を紹介した。
 水深何千メートルもの海底へ潜航できる潜水調査船のパイロットや整備士、管制員、司令(運航責任者)、母船の船長、また飽和潜水という特殊な方法で潜るダイバーなど、それまであまり知られていなかったプロフェッショナルたちに会ってインタビューを重ねた。そして自分も潜水調査船の母船に乗せてもらい、実際に「しんかい6500」が潜航する場面を目撃した。
 そのように綿密な取材を行ったかいもあって、同書は好評を得た。そして内容に関連した講演の依頼なども、ちらほら舞いこむようになった。しかし、そうした依頼の全てをありがたく受けて、様々な人の前で話をしているうちに、私はどことなく後ろめたいような気持を抱くようになった。あるいは忸怩たる思いというべきか——。
 同書の中では、潜水調査船のパイロットが深海で見聞きし、体験したことを、特に詳しく紹介している。それを講演会などでも話すわけだが、要するにそれは人から聞いたことを右から左へ受け渡しているに過ぎない。だったら本人から直接、語ってもらったほうがいいのではないか。自分が体験してもいないことを、なぜ高いところから偉そうにしゃべっているのだろう?

 似たような後ろめたさは、2005年刊の長編『ハイドゥナン』(早川書房)でも大なり小なり抱いていた。深海が重要な舞台となっている同作品には、当然のことながら『深海のパイロット』で身に着けた知識がふんだんに詰めこまれている。もっと率直に言ってしまえば、『深海のパイロット』を出した理由の3割くらいは同作品を書くためだった。
 つまり『深海のパイロット』と『ハイドゥナン』は、ある意味で表裏一体なのである。その企ては、おおむね成功した。ノンフィクションを書くために見た大量の写真や映像、実際に深海へ行ってきた人から聞いた話、そして自分が母船から観察した現場、それらを立体的に再構成して広大な海中世界を、ほぼ満足のいくように描けたからである。
 それでも忸怩たる思いは残った。なぜなら母船の取材から得たものを除いて、全ては借り物だからである。もちろん想像力で膨らませたり、自分なりの演出や味付けをした部分は多い。だが、それは土台となる他人の経験があってのことだ。
 もちろん小説なのだから、それでいいのだとは思う。行ったことのない場所でも想像力を駆使して描くのが小説家の腕の見せどころじゃないのか、と言われたこともある。それもその通りだ。また現実問題として小説に描いたことを全て体験している、というのは私小説でないかぎりは通常ありえない。『ハイドゥナン』でも資料と想像に頼ったのは、何も深海に限った話ではなかった。
 要するに海——特に「深海」というのが、私にとっては非常に特別な場所なのだろう。だから気になるのだ。

 思えば「しんかい6500」を擁する独立行政法人海洋研究開発機構(旧海洋科学技術センター)に初めて足を運んだのは15年以上も前で、私は科学雑誌の編集者だった。それ以来、深海に関する記事は何本も担当したし、映像制作会社に転職してからは『深海生物の世界』(日経映像)というCD-ROMをつくったりもした。同機構からの委託で教育啓蒙用のソフトを制作したこともある。
 作家になってからも、機会を見つけては足しげく同機構に通い続けた。その過程で自分も職員の一人になったような錯覚を抱いてしまったのかもしれない。一般の人にとっては深海も宇宙と同じくらい遠い世界であろう。しかし幸か不幸か、私には分不相応ながらも身近な世界であった。
 もし『深海のパイロット』や『ハイドゥナン』が主に宇宙を舞台にしたノンフィクションや小説であったなら、後ろめたさや忸怩たる思いを抱いたりすることはなかったはずだ。現時点での感覚として、自分や周囲の人が生きているうちに宇宙へ行けるとは思えないからである。誰だって知識と想像に頼らざるをえない。
 だが深海はちがう。それは手を伸ばせば触れられる、その指一本先くらいにあった。すでに新聞社の編集委員クラスや名前の知られたジャーナリストなどが、普及広報的な意味合いで潜航させてもらった前例もある。であれば自分だけが行かずに、人の話の受け売りをしているのはおかしい。
『深海のパイロット』にからむ講演を重ねながら、そんな大それた思いを抱くようになった。一度、思いこんだら、それを実行に移さなければ気の済まない性格である。
 しかし事は容易ではなかった。教育啓蒙的な実績はあると自負していたが、地位も名前もないというデメリットのほうが高い壁として立ちはだかる。試行錯誤を重ねてそれを乗り越えるのに、3年近い歳月を要した。
 正直なところ、今回の新作『鯨の王』の連載を終える前に深海へ潜りたいと思っていたが、あと一歩のところで実現しなかった。結局は『ハイドゥナン』と同様、それまでの長い「耳学問」と取材の経験を駆使して、再び深海に挑戦せざるをえなかったのである。
 だが最終的には様々な人々の温かい支援と幸運とに恵まれ、単行本の初校ゲラを戻す直前にかろうじて夢はかなえられた。それでも全く間に合わないよりはずっとましだった、という話を以下に記しておきたいと思う。

潜航直前

「しんかい6500」の耐圧殻に入ったところを、ハッチの上から撮影してもらった。

 私が「しんかい6500」で水深1500メートルの深海に潜ったのは、今年の3月16日だった。潜航地点は沖縄県・石垣島の北北西、約50キロメートルの海域にある。その海底は「沖縄トラフ」と呼ばれる舟状にくぼんだ地形の一部で、鳩間海丘という小さな海底火山があった。沖縄トラフは『ハイドゥナン』の主要な舞台でもある。
 鳩間海丘の頂上は直径7800メートルのカルデラになっていて、活発に熱水(温泉)を噴きだしている場所がある。現在は噴火していないが、1924年に大爆発した西表海底火山が鳩間海丘だという指摘もある。その時に噴出した軽石は北海道にまで流れ着いて、黒潮の道筋を示した。
『鯨の王』の主な舞台も、サスケハナ海山という架空の海底火山だ。マリアナ諸島のアナタハン島沖にあるという設定で、形状的には硫黄島の南にある日光海山をモデルにした。やはり頂上部がカルデラで、直径が五キロメートルほどもある。
 それに比べると鳩間海丘はかなり小ぶりだが、生きている火山だし、カルデラの水深も数百メートル深いだけだ。『鯨の王』に登場するダイマッコウというクジラたちの生息域に見立てても、ほとんど問題はない。「しんかい6500」に乗って私が目指したのは、そのカルデラの中だった。
 天候が不安定な時期で、果たして無事に潜航できるものかと数週間前から気をもんでいた。実際、私が潜った日の前日は記念すべき1000回目の潜航だったのだが(搭乗したのはノンフィクションライターの山根一眞氏)、行けるかどうか危ぶむ声もあったと聞く。そして私が潜った翌日の潜航は、海況不良のため中止となった。まさに紙一重である。
 潜航当日の天気もよくはなかったが、海は静かだった。起床から全ては予定通りで、私はすんなりと「しんかい6500」のハッチをくぐっていた。紙幅等の都合で、その後に続く潜航の模様を逐一、報告することはできない。『鯨の王』にからめて印象に残ったことを、いくつか述べておこう。
 私が潜る前に予想していたことの一つは、水を濁らせる物質(懸濁物)が少ないのではないかということだった。亜熱帯や熱帯の海では、一般的に深いところから栄養となる物質が運ばれてこない。加えて潜航した海域では、もう一つの供給源である陸からも遠い。つまり貧栄養のはずだ。ということはプランクトンも発生しにくく、主な懸濁物であるそれらの遺骸や排出物も少ないと思っていた。
『鯨の王』の舞台となったマリアナ海域も、条件としては似ている。しかし私は演出のために、あえてマリンスノーすなわち懸濁物の塊が降り注ぐ深海を描いた。そういうことをするから、後ろめたさを感じることになるのだ。
 ところが潜航中に「しんかい6500」の窓から見た海は、けっこう濁っていた。クラゲのような大型のプランクトンも多く、時には縄暖簾と形も大きさもそっくりな生き物が視界を過っていったりした。現時点ではまだ写真やビデオが手元に届いていないため、何という生物か確認していない。
 水中に太陽の光が届かない深さになると、懸濁物の多さはますますはっきりしてくる。暗闇を照らす潜水船の投光器が、それらを白く浮かび上がらせるからだ。これがすなわちマリンスノーである。申し訳程度にしか降らなかった今年の東京の雪よりは、はるかに雪らしかった。
 その状態は、水深1500メートルの海底にいる間も変わらなかった。ちなみに潜水船のパイロットが母船に報告した視程は6メートルである。つまり6メートル先までしか見えない。水が澄んでいれば十数メートルの視程を得られることもあるはずだ。もっとも熱水による濁りもあるから、全部がマリンスノーのせいだとは言えない。
 浮上時も別の形で私はプランクトンの多さを確認した。投光器はもちろん、潜水船内の明かりもほとんど消してもらって窓の外を眺めたのだ。そして見たのは「星降る夜」の風景だった。
 蛍を思わせる青緑色の光が、次々と目の前を流れ落ちていく。中にはネックレスのように連なって舞い降りてくる光もあった。一つ一つが発光するプランクトンであることは明らかだ。それらがまるで流星のように降り注いでいる。嬉しい見こみちがいに、私は笑みを絶やすことができなかった。
 おかげで海上に戻った後も、しばらくは夢見心地だった。まるでどこか遠い他所の惑星へ行き、宇宙空間を通って地球へ帰ってきたような気分を味わっていた。
 要するに私の生半可な知識に基づく予想など、自然は簡単に裏切るのだ。マリアナの深海にマリンスノーが多いか少ないかなんて、気にするほうがおこがましい。
 知識ばかりでなく自分の感覚も、あっさりと裏切られる。
 私は海底から熱水が噴出している映像を、いやというほど見てきた。真っ黒な熱水、白い熱水、透明な熱水、色々とある。噴出のしかたも様々だが、勢いよく噴きだしている熱水を見ているときに頭の中で響いているのは「ゴーッ」あるいは「ゴボゴボゴボ」というような音だった。
 実際の音を映像から聞くことはできない。ビデオカメラは船外にあって外の景色を録っているのだが、マイクは潜水船内の音を拾っているからだ。おそらく必要ないという判断なのだろうが、大きな水圧に耐えられる水中マイクまでは装備されていない。
 船内は分厚い金属に囲まれているし、送風機など様々な機器類がたてるノイズに満ちている。外の音はほとんど聞こえてこない。パイロットに尋ねてみても、熱水の噴きだす音を聞いたことがあるという人は皆無だった。私にはいつもそれが不思議でならなかった。光の届かない深海は音の世界だと言ってもいいはずだ。それを誰も聞いたことがないとは……。
 そう思うと外の音が気になってしかたがなくなる。何とかそれを聞く方法はないものかと無い知恵を絞った末、考えついたのがコンクリートマイクだった。建物の壁に密着させて、伝わってくる音を圧電ピックアップで拾う装置だ。これなら比較的、安く手に入る。それを潜水船の内壁にくっつけて、外の音を「盗聴」してみたらどうだろう。
 やってみると案外うまくいった。熱水噴出の音を聞くのに成功したのである。ただしそれは「ゴーッ」でも「ゴボゴボゴボ」でもなく「シュワーッ」というような甲高い音で、ソーダ水から炭酸が抜けていく音にも少し似ていた(陸上の火山でも地下から勢いよく蒸気が噴きだしている場所では、それに近い音を聞くことができる)。おまけに岩のかけらが崩れ落ちて潜水船にぶつかる音まで、鼓膜が痛いほどに伝わってくる。それを聞きながら窓の外を見ていると、恐ろしいくらいの臨場感に浸ることができた。

「しんかい6500」の船外音(13秒くらいから熱水噴出の音が聞こえる)

 しかし、そういった音を長く聞いていることはできなかった。当然のことながら潜水船は外にもノイズを発生している。それを止めなければコンクリートマイクでも小さな音を拾うことはできないが、止めるというのはエンジンを切ることに等しい。一定時間以上、切っているのは危険だった。
 潜水船というのは蓄電池で動いているため、全体的には静かな乗り物のようなイメージを抱いていたが、それもまた私の思いちがいだった。むしろ非常に騒々しい乗り物である。要するに油圧装置の音なのだが、あまり船内には伝わってこない。しかしコンクリートマイクで外に発している音を聞いてみると耳をつんざくようなうるささで、もちろん熱水の噴出音などはかき消されてしまう。
 ダイオウイカを潜水船や無人探査機で探そうという試みが、これまでことごとく失敗してきた理由がよくわかった。音を出さない「釣り」方式で初めての映像が得られたというのは、むしろ当然のことであろう。
 視覚についても裏切られたというほどではないが、やはり映像ではなく目で見た深海の立体感というのは、期待を上回っていた。視程は六メートルと報告されたものの、人間の目は感度がいい。慣れてくると直径数十メートルと思われる丘(マウンド)が盛り上がって、そのてっぺんに煙突のような熱水噴出孔(チムニー)が並んでいることを見て取れた。モニター上で、そのような経験をしたことはない。
 初めて目にした熱水噴出孔は投光器によってまばゆく照らしだされ、勢いよく噴きでる熱水はその透明さを際立たせ、無数のシンカイヒバリガイやゴエモンコシオリエビがチムニーやマウンドを琥珀色や純白に彩っていた。それはまるで豪華に飾りつけられた祭壇のようだった。しかし私はその美しさに心を奪われ、祈る言葉は失っていた。

 浅薄な認識に基づく記述を『鯨の王』の初校ゲラでは可能な限り改め、ようやく私は後ろめたさから解放されることができた。現時点で、これ以上、深海をリアルに(というのは必ずしも正確であることを意味しないが)描いた作品はないだろうと自負している。しかし、それが小説としての価値にどの程度、結びついているのかは別問題だ。単なる自己満足に過ぎないのかもしれない。その点については読者の評価に委ねたいと思う。
 いずれにしても今は、深海を自分の体験を交えて語れるようになったという喜びでいっぱいだ。最後になってしまったが、そのような喜びを与えてくれた海洋研究開発機構の関係者の皆様に心から御礼申し上げる。また私の潜航は、正式には同機構と科学雑誌「ニュートン」との共同企画である。同誌の7月号に詳しいレポートが掲載される予定だが、その前にここで速報的な話を書かせてもらった。快くそれを承諾してくれた同誌の編集部にも感謝したい。(「本の話」2007年6月号)

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