『2012』人類は滅亡するか!?

 ハリウッドは、手を変え品を変え地球を破壊しようとしてきた。巨大隕石を落としたり、異星人や怪獣やロボットに襲わせたり、水びたしにしたり、氷漬けにしたり、地磁気を逆転させたり、と枚挙にいとまがない。
 中でもローランド・エメリッヒは、最も容赦のない監督だと言えよう。すでに異星人と怪獣、氷責めとやってきて、ついには地球を電子レンジにかけてしまったようだ。
 そのリアリティや科学的根拠については突っこみどころ満載なのだが、それをあげつらっていたらきりがないし、意味があることとも思えない。おそらく確信犯だろう。
 言うまでもないことなのだろうが、エメリッヒ監督の最たる狙いは、これまでにない大迫力の映像体験を提供することにあったと思う。次に重要なのは、たぶん世界の終末という極限状況に際しての人間ドラマだった。
 従って、それ以外の要素に関しては、あえてさらりと流した感がある。とはいえ「チン!」で世界を沈めてしまおうというのだから、豪気なものだ。
 突っこんでも意味がないと言いつつ、映画のようなことが現実にならないかと心配されている方のためにあえて断っておくと、私は99・9%ありえないと思っている。理由も色々と挙げられるが、一つだけ――。
 この映画では「惑星直列」という現象が太陽の活動を活発化させ、電子レンジのスイッチを入れることになっている。しかし国立天文台の見解によると、「直列」という言葉がイメージさせるように、全ての惑星が一直線上に並ぶことは、過去にも将来にもありえないそうだ。せいぜい見かけ上、数十度の範囲内に集まる程度だという。
 また個々の惑星の引力などたかが知れており、しかもその力は距離の二乗に反比例している。隣の惑星にすら遠過ぎて影響しない。だから、たとえ全部が一直線上に並んだとしても、相乗効果で太陽を活発化させることはないはずだ。これで安心されただろうか?
 地球が文字通り破壊され消滅するのは、遠い未来、約50億年後のことである。そのころ年老いた太陽は赤色巨星と化し、地球軌道の外側へまで膨張してしまう。つまり地球は電子レンジにかけられるのではなく、オーブンでローストされるのである。残念だが、これは避け難い運命だ。
 そこまで壊滅的ではなくとも、多くの生命が死に絶えるようなディザスターは、過去に何度も起きてきた。生存していた種の7割以上が滅んでしまう「大量絶滅事件」は、少なくとも5回あったと考えられている。約2億5000万年前が最大で、あらゆる生物種の9割以上が死滅した。
 大量絶滅の原因としては、大規模な火山活動や巨大隕石の衝突といった馴染み深いものから、超新星爆発によるガンマ線の放射まで、様々な説が唱えられている。『デイ・アフター・トゥモロー』のヒントになったと思われる全地球の凍結も、その一つだ。実際にどれがどの大量絶滅に当てはまるのかについては、まだ議論が続いている。
 しかし重要なのは、そんなとてつもない試練にあっても、生命が100%この地球上から一掃されてしまうことはなかった、ということだ。必ず何かが生き残り、次の時代に再び命の華を咲かせている。
 最も最近(6500万年前)の大量絶滅事件では、恐竜が地球史の表舞台から去り、代わりに哺乳類が生き延びて現在のように繁栄することとなった。また5億4500万年前には、もしかしたら2億5000万年前をも上回る規模の絶滅事件があったかもしれないのだが、その後には「カンブリア紀の大爆発」と呼ばれる生命の急激な多様化現象が起きた。現在、生息している生物の原型は、このころに出揃ったとされている。
 地球環境の大規模な変動を前にして、個々の生物はあまりにも無力だ。しかし総体としての生命は、驚くほどにしたたかなのである。必ず何者かが生き残り、パワーアップして次の時代を築いていく。その原動力は、どんな場所にでもはびこっていこうとする本能と、進化がもたらす多様性だろう。
 従って『2012』で方舟に乗せる人間を、遺伝子のバリエーションによって選ぼうとしたことは正しい。実際はそうならず、金持ち優先だったようだが、結局は主人公であるジャクソン・カーティスのような貧乏人も、とてつもない執念で生き残ることになった。まさに彼は、生命の本質を体現している。
 私も売れない作家だから、もしカーティスのような人間が次世代の祖となれば、それはそれで痛快だ。しかし、あれほどのディザスターを経た後で繁栄する子孫は、もはや人間とは呼べない姿になっているかもしれない。
 実は恐竜もある意味で、絶滅してはいなかったと考えられ始めている。彼らの一部は生き延びて姿を大きく変え、大空の支配者となった可能性があるのだ。我々は憧れをこめて、それを「鳥」と呼んでいる。(『2012』劇場用公式プログラム)

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